院長の黒田亮平先生
タウンクリニックの前身は「岸中外科医院」という昭和33年に開院した有床診療所でした。平成3年に診療所の法人化に伴い、“生涯町医者”という意味が込められ、タウンクリニックという名称に改称されました。
黒田先生は平成元年より、常勤医として岸中外科医院に勤務されていらっしゃいましたが、平成6年にタウンクリニックを継承されました。また、平成23年4月には有床診療所を閉鎖し、所有地内に無床診療所を開院され、新たなスタートをされました。その理由として「一番やりたかったのはリハビリを充実させ、お年寄りをはじめとし地域の人に沢山来てもらって、サロンのように過ごしやすい場としてここを提供することです。これは24時間救急対応していた有床の診療所ではできなかったことです。まして地域医療の役割ともいえる在宅などにも対応できませんでした」と地域医療サービスに対する熱いお気持ちから、新たな一歩を踏み出したことを黒田先生はお話し下さいました。また将来は在宅や往診など、より地域に根ざした医療サービスがしたいという希望をお持ちだともお伺いしました。
クリニックは元の有床診療所(左写真後)に隣接した場所にあります
医療の提供で地域の一員としての役割を果たしたいと思われていた黒田先生が、有床診療所から無床診療所へと切り替えられるまでの決心と準備には大変なご苦労がありました。「有床診療所では、救急指定であったことから、都から建物が耐震設備条件を満たすことを迫られていたということや、病床に見合った職員を雇用しなくてはならない等、非常に厳しいものがありました。そんな中で、もう一度地域の潜在医療ニーズを分析して、それに答えたいと思いました」「ただ、無床診療所へ切り替える際にも、とても辛かったことがありました。人の問題でした。どうしても職員の数は減らさなくてはなりませんでしたので」とお話下さった黒田先生は、そんなご苦労を乗り越えられた現在「本当にこの近くの人だけで良いですから、ここで治療を受けて頂いて気持ちよく帰ってもらいたいです」と地域に対するお気持ちを再び強く語られました。
2階のリハビリ室には沢山の患者さんが座れるソファーがあります
『平行棒』(手前) 『姿勢矯正用鏡』(奥)
受付の奥にはエレベーターがあります
2階のリハビリ室に続く階段
スタッフに対し「仲が良いですよ。それは有り難いことだといつも思っていますし、とても嬉しいことです」と黒田先生は話されます。「自分の目指すところは、地域の患者さんに気持ち良く治療して頂き、楽しく過ごして帰って欲しいということだと、開院前からスタッフに話していましたので、手が空くと2階のリハビリ室へ行って患者さんの様子を見たり、話し相手になったりしてくれています。スタッフ全員が健闘してくれているのだと思っています」スタッフの心遣いが、扉に貼られている季節風物の絵や、植木に下げられている折り紙などからも伺うことができ、それらは診察や治療を待たれている患者さんを和ませます。
「熟慮の上の人選でしたので、今のスタッフでやっていけたら良いと思っているのですが、非常に忙しい日があります。そういう日は患者さんへのサービスも落ちてしまいます」黒田先生は患者さんのために、PTの先生を増員することまでも考えておられます。
地域に対する思いで強く結ばれているスタッフの皆さん
折紙が飾られている観葉植物
ドアに貼られた季節風物絵
リハビリ室は非常に広く、多くの患者さんがゆったりと治療が受けられます
手前から 『マットプラットフォーム』『セラバンド』
水圧式マッサージベッド『アクアラグーン』
牽引器『オルソトラックラセディア』
中周波多目的治療器
『クリオスアンフィニ』(手前)
SSP療法器『グラナス』(奥)
メディカルトレーニングセラピー
『油圧ダブルニーⅢデジタルバージョン』
リハビリ機器の導入に関して「購入の際、3社に来てもらったのですが、御社の営業担当の方が『リハビリは人です、器械じゃありません』と言ったんです。器械を売る人が面白いことを言うと思いましたが、常々自分自身そうだと思っていたことなので非常に共感しました」と黒田先生。
治療器で治療を受けるのは患者さんという“人”です。治療器を扱うのも医療スタッフである“人”です。人と人との信頼を裏切らない治療器を提供できるメーカーとしての自信から出た営業マンの言葉が、先生の共感を得たということでした。
将来黒田先生が在宅や往診に携られるようになった時には、きっとまたご満足頂ける治療器を提案しお役に立ちたいと願います。
タウンクリニックのある立川市は、2001年の「東京の新しい都市づくりビジョン」で核都市に指定されており、多摩地区最大の乗車人員数の立川駅と、多摩地区を南北に結ぶ多摩都市モノレール線の立川北駅、立川南駅がある約400万人の人口を有する東京三多摩地区の中心都市として、商業施設やオフィスが集積している町です。
商業施設やオフィスで賑う立川駅周辺
多摩都市モノレール
市の歴史の中では1945年の敗戦にともない、アメリカ軍により立川飛行場が接収されて米軍立川基地となり、立川は基地の町として全国に知られるようになったということがありました。その後1977年にアメリカ軍が横田基地に移転。立川基地は日本に返還され、現在は陸上自衛隊立川駐屯地、国営昭和記念公園、立川広域防災基地などに転用されました。中でも昭島市にまで跨り130haに及ぶ広大な国営昭和記念公園は、四季折々季節の花が咲き乱れ、遠方からも多くの人々が訪れるオアシスとなっています。
緑豊かな国営昭和記念公園